昨年9月に日記で書いた
拾ってきた流木(写真①の左下)。
台風で流されたものだけに、
木目の奥まで、砂が入り込んでいて
小石もめり込んでいる状態だったので、
しばらく風雨に晒してから、
鉄ブラシで何度もかき出して、
柿渋も何度か塗ってようやく
それらしくなってきた。
木目にそって金色をわずかに入れて完成。
この4月13~16日の花展で、
ようやく使ってみることにした。
数カ所空いた穴から手を突っ込んで木から
花々が芽吹いてきたように
生けてみたがどうだろうか?(写真②)
生け終わって見ると、
これは何の木でどこの部分なのか、
どこで命を育んでいたのだろう
という思いに耽った。
台風によって流れ流され、
土木事業所で拾われて、
変人のオッサンにもらわれて、
色を塗られて、今、デパートの
催事場でスポットライトを浴びている。
どこかで花や葉を付けていた頃、
デパートに飾られるなんて
想像していなかっただろうと思うと
なんだか運命というのは面白い。
こういうのも運命の出会いというのだろうか?
コイツ、喜んでいるだろうか?
2012年4月15日日曜日
2012年4月12日木曜日
中川幸夫という人
先月30日、
前衛華道家・中川幸夫が92才で亡くなった。
草月流/勅使河原蒼風、
小原流/小原豊雲と
同時代に活躍した孤高の華道家である。
3才の頃に脊椎カリエスを患い、
背骨が曲がったままに
なってしまう。
23才の時に叔母の影響で池坊の生け花を習い、
才能を認められるが、作品に対する意見の違い、
家元制度に反発したことから池坊を破門され、
以後、どこの流派にも属さず、弟子も取らず、
孤高の創作活動を続ける。
出身地の丸亀市から同居人半田唄子とともに
暮らした東京での極貧生活の壮絶さは、
早坂暁氏の「華日記/昭和生け花戦国史」に
その詳細はよく描かれている。
添付画像は、ガラス花器にカーネーションの
花びらを詰めてそこから流れ出る血のような
赤い液をも表現するというなんとも
グロテスクでエロティックな作品
代表作「花坊主」である。
正直、前衛的な作品群は理解を超えているが、
いわゆる生け花らしい生け花の作品も写真として
残っているが、その才能は明らかで、
基礎を踏まえての前衛的な
チャレンジをしていたことがよくわかる。
近年は、書家として映画「たそがれ清兵衛」の題字や
古田織部賞を受賞したことで評価を高め、
生活も安定していたのかもしれないが、
どこにも属さず、創作活動のみに邁進できることは、
理想的ではあるが、極貧の中で創作を
続けることは並大抵の精神力ではない。
流派を背負う重圧やしがらみの中で
創作する家元より、貧乏でも、純粋に
創作への情熱を持ち続ける方が、
長生きするのかもしれない。
ご冥福をお祈りする、合掌。
2012年4月10日火曜日
どうだ!「月に雁」
古い切手のアルバムが二冊出てきた。
幼少期に切手収集に夢中になっていた頃があった。
魚、鳥、動物、花、国定公園、オリンピックのシリーズ物、
天皇陛下在位50年記念やお年玉切手シートもある。
ピンピンの新品、
板垣退助の百円札と十円札なんかもある。
極めつけは、800円と高価な切手「月に雁」
ネットで調べると、
売値が9000円から10000円になる。
懐かしさはあるが、
それ程の愛着もないので、
売ることにした。
買い取りは、おおむね予想を下回ることが多いので、
すべてひっくるめても、
2000円以上5000円以下ぐらいとちゃうか?
との想定を持って、切手商会に向かった。
雑居ビルの一階の奥を突き当たって
さらに細い通路を曲がったさらに奥にあった。
チケット情報のチラシが外壁一面に貼ってある。
切手の売買よりもチケットショップが
主流になっているようだ。
切手の買い取り希望の旨を伝えると
カウンター横の丸いすに案内され、
「沢山ありますが‥」と
今日中に鑑定できないかもしれませんがの
ニュアンスを含めつつ
二冊のアルバムを置く。
「拝見します。」と言い終わると、
パラパラとめくっていく。
アレアレ...そんなに早く鑑定できるの?
と思っていたら、
案の定、「月に雁」で手が止まる。
どうだ!「月に雁」持ってるぜ!の目線を
送りながら見ていると、
担当者はピンセットで丁寧に引き出し裏返す。
ちょっと黄ばんでるけど、シワも折れもなく、
綺麗なものだ。
ピンセットでしまうと、
また前の調子で簡単にページをめくり終わった。
値がつくのは、「月に雁」だけか…と思っていると、
「未使用のものは、ご使用いただけますし、
記念としてお持ちいただければ良いかと思います、
ありがとうございました。」
と半笑いで言い終えた。
…………。
無価値かよ…。
内訳やらどれがいくらなのかと
突っ込んで聞いてやろうと思っていただけに、
想定外の結果に小っ恥ずかしくなり、
私の「月に雁」の何が悪いの?と尋ねることもできず、
逃げるように切手商会を後にするのであった。
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