2012年4月12日木曜日
中川幸夫という人
先月30日、
前衛華道家・中川幸夫が92才で亡くなった。
草月流/勅使河原蒼風、
小原流/小原豊雲と
同時代に活躍した孤高の華道家である。
3才の頃に脊椎カリエスを患い、
背骨が曲がったままに
なってしまう。
23才の時に叔母の影響で池坊の生け花を習い、
才能を認められるが、作品に対する意見の違い、
家元制度に反発したことから池坊を破門され、
以後、どこの流派にも属さず、弟子も取らず、
孤高の創作活動を続ける。
出身地の丸亀市から同居人半田唄子とともに
暮らした東京での極貧生活の壮絶さは、
早坂暁氏の「華日記/昭和生け花戦国史」に
その詳細はよく描かれている。
添付画像は、ガラス花器にカーネーションの
花びらを詰めてそこから流れ出る血のような
赤い液をも表現するというなんとも
グロテスクでエロティックな作品
代表作「花坊主」である。
正直、前衛的な作品群は理解を超えているが、
いわゆる生け花らしい生け花の作品も写真として
残っているが、その才能は明らかで、
基礎を踏まえての前衛的な
チャレンジをしていたことがよくわかる。
近年は、書家として映画「たそがれ清兵衛」の題字や
古田織部賞を受賞したことで評価を高め、
生活も安定していたのかもしれないが、
どこにも属さず、創作活動のみに邁進できることは、
理想的ではあるが、極貧の中で創作を
続けることは並大抵の精神力ではない。
流派を背負う重圧やしがらみの中で
創作する家元より、貧乏でも、純粋に
創作への情熱を持ち続ける方が、
長生きするのかもしれない。
ご冥福をお祈りする、合掌。
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